鹿嶋市(かしま)検索

茨城県
【いわれ】八世紀初頭の常陸風土記では,「香島郡」とあり,やがて霊亀から養老年間(715〜724)に現在の「鹿嶋」に改められた。続日本紀養老七年の条に「鹿嶋」とみえるのが初見で,これ以降,史書や文献では鹿嶋,または鹿島で表記されている。これまで,歴史的にも「鹿島」と「鹿嶋」という二つの表記が昔から併用されてきたが,明治22年日本最初の町村制の施行において現在の鹿島町が「鹿嶋郡鹿嶋町」と表示されていることもあり,鹿島町長の公印は昭和10年頃まで「鹿嶋町長○○之印」で表記されていたことも確認され又,地域の歴史的,文化的シンボルである「鹿島神宮」においては,その「お札」や「お守り」等に鹿嶋」の表記が「鹿島」とともに現在でも使われている。 以上の理由で1995年9月1日,鹿島町と大野村合併の際に「鹿嶋市」と命名された。
【シンボル】花(ヤマツツジ),木(松),鳥(キジ)
【日本一】県立カシマサッカースタジアム(日本初の屋根付きサッカースタジアム)
【観光】
    根本寺(下生にある根本寺は,聖徳太子が創建したといわれている禅寺。俳聖芭蕉が住職の仏頂和尚を禅の師と仰いだことから,1687年(貞亨4年)に根本寺に月見に訪れたと「鹿島紀行」にも記されており,その時の句が今も碑になって残っている)
    高松かるた(文化財愛護かるた。鹿島町内に古くから伝え守られてきた昔話や伝説,文化財などを町民自らかるたに詠んだのがこの郷土かるた。鹿島の歴史や文化などが一目瞭然にわかる貴重な教科書でもある)
    パラボラアンテナ(鹿島灘が一望できる平井の高台に直径34mの大パラボナアンテナなどを持つ郵政省の鹿島宇宙通信センターがある。1964年(昭和39年)に開設して以来,宇宙通信と電波天文の研究が行われている。同年に東京オリンピックは,ここから世界に向けて宇宙中継されたことでも有名)
    おびんずる様(栗生の台地にある平光寺の薬師堂に安置されている木像。旱のときに近くのズウグチと呼ばれる小池に運んで全身に泥を塗って置くと,必ず雨が降るといわれている。 雨乞い」の木像)
    鹿島神宮(朱塗りの楼門は日本三大楼門の1つ、社殿は徳川秀忠が元和5年(1619)に造営したもの。境内は約800種の樹叢に覆われており国指定重要文化財が多い)
    鹿島城山公園(鹿島城跡を整備した市民いこいの広場。桜祭りが行われる)
    塚原ト伝の墓(足利将軍の指南役を務めた剣豪)
    大小志崎海岸(ハマナスの自生地南限地帯)
    高松緑地公園(スポーツ公園)
    ト伝の郷運動公園(多目的総合運動公園)
    鹿島城跡
    鹿島アントラーズクラブハウス(練習風景が見学できる)
    大福寺(高さ90cmの十一面観世音菩薩像は室町時代の作)
    鹿島港魚釣園(海釣りのポイントとして太公望が楽しむ)
    潮騒はまなす公園(旧大野村地区。眼下に広がる太平洋を見ながら滑る全長154mのジャンボ滑り台,360度の展望が出来る宇宙展望塔)
    宮中野古墳群(100基ほどの古墳群で古墳時代から平安時代までの前方後円墳、円墳、方墳、矩形墳など)
    白馬祭
    下津海水浴場
    かしま桜祭り
    はまなす祭
    御田植祭・流鏑馬
    鹿嶋市花火大会
    神幸祭・提灯祭
    大野郷土資料館
    鹿島七不思議(御手洗池、海の音、末無川、要石、根上がりの松、御藤の花、松の箸)
    御手洗池(みたらしいけ。古くからみそぎの場として知られ、湧き水は旱でも水量に変わりなく大人が入っても子どもが入っても胸のところまでと言われる。鹿島神宮奥の宮北方の坂を下ったところ)
    海の音(昔から鹿島灘の海の音は波の響きが上の方に聞こえる時は晴れ、下の方に聞こえるときには雨になると言われている)
    末無川(高天原の松林の中から湧き出る清水が小池をつくっている。その池から流れ出る水の流れは地中にもぐってしまい行く末がわからないという)
    要石(かなめいし。地震を起こすなまずの頭を抑えている「地震抑えの霊石」で有名。また昔からいくら掘っても全容を掘り尽くせないと言われている。鹿島神宮奥の宮東南200mところ)
    根上がりの松(鹿島山の松や高天原に生える松はすべて切り株から芽が出て、何度切っても枯れないという)
    御藤の花(みふじのはな。50数年前まで鹿島神宮拝殿の東側にあったが、枯れて今はない。昔から藤の花が多く咲いた年は豊作、少ないときには凶作と言われてきた)
    松の箸(鹿島山に生える松で作った箸はヤニが出ないという。昔は正月7日の間(松の内)は太箸といって松の箸を朝夕用いていた)
【名産】和菓子
    ナマズグッズ
    はまなすジャム
    鹿島灘はまぐり