茨城県 【トピック】2005/03/22 稲敷郡江戸崎町、新利根町、桜川村、東町が合併して誕生 --------- 旧稲敷郡江戸崎町のデータ -------------- 【いわれ】稲敷郡の中心(旧郡役所の所在地),合併1町4村の中心的位置にあり,文明年中以来の江戸崎村,明治の町名施行以来の町名を継承した。 【シンボル】花(バラ),木(梅),鳥(ヒバリ) 【観光】 椎塚貝塚(明治時代の発掘史を語る古代遺跡) 村田貝塚(戦後の発掘になる古代遺跡) 姫宮古墳(姫塚の伝承を有する) 江戸崎町文化祭 江戸崎城跡 下君山廃寺跡(中世後期の江戸崎地方の領主土岐原氏の居城) 佐倉城跡(北畠親房の書状にも記される南朝支援の砦城) 不動院仁王門(江戸城より移築の伝承を有する建物) 高田権現神社 石造五百羅漢の群像(文化元年に完成) 瑞祥院(羅漢山の夕照として江戸崎八景の約500体の石造(五百羅漢)が立つ臨済宗の古刹) 江戸崎の祇園祭り(鹿島神社と八坂神社の合同祭。その起こりは天正年間と言われる。実施日7月25日から27日) 大念寺(天正19年(1591)創建。家康お手植の逆さイチョウがある。楼門は浄土宗の壇林寺の格式を伝える建物) デーハンニャ(高田神社の祭り。木彫りの般若面を入れた白木の箱を、はだしで担いで回る珍しい祭り。実施日2月8日と5月6日) 虫追い祭り(大日祭りともいい、子どもたちが半鐘やそろばんを手に町から田んぼに繰り出し、五穀豊穣を祈る祭り。実施日8月下旬) 子ども相撲(鹿島神社。本来は奉納相撲であったが形を変えて伝わっている。実施日9月1日) リバーサイドパーク(水と広場とふれあいをテーマとした公園で、アート広場、子ども広場、センター広場がある) 稲波(榎浦の干拓(戦後完成)に入植した農家群)の町並み 功通(近江商人の系譜に連なる商家の蔵造りが若干残る)町並み 旧町域全体(戦国期の城下町の名残をとどめる区画) ポティロンの森(1999年4月3日開園。ヨーロッパの農村をイメージした大規模な体験型農業公園で8つのエリアから構成されている。ポティロンとはフランス語でカボチャのこと) 林文仲の句碑(天保15年建立。近江商人の系譜に連なる) 林元有の歌碑(天保5年建立。狂歌の指導者) 小林大次郎の顕彰碑(明治23年没の郡長) 庚申堂記の碑(文化10年建立。久保木清渕の撰文による) 湯立て神事(愛宕神社の例祭。実施日1月) 弓神事(2月の「ぶしゃ」、時崎、羽賀、下君山に残る) 八幡山発祥の地(祇園などの山車で演奏および踊られるもの) 浅間さま参り(鉢巻きに判を押してもらう) 大師さまの札張り(新仏の家の手伝いで戒名入りの札を張る) 榎浦のカッパ(アシの中から聞こえてくる人の声に誘われて近づくと水の中に落ちてしまった。かっぱのいたずらの話) 天界の雨乞い(日照り続きに困った村人が天界が住職している寺に祈祷すると竜が舞い上がり雨が降った話) 諸岡一羽と敵討ち(病気の師の看病を嫌って逃げた弟子の一人を、残った弟子2人が師匠のあだを討つ話) 城山のキツネ(殺したキツネの肉を食べた男の家が火事となったのはキツネの祟りであるという話) 【名産】カボチャ(町の特産品)--------- 旧稲敷郡新利根町のデータ -------------- 茨城県稲敷郡 【いわれ】3か村の住民から村名を募集。 「新利根村」となる。1996(平成8年)6/1に町制により「新利根町」に 【シンボル】花(菊),木(桜),鳥(ウグイス) 【観光】 成田空港から離着陸するジャンボ機上よりの田園風景 小野逢善寺(ほうぜんじ)の境内(観音堂、仁王門など) 逢善寺のぼん鐘(天長3年(826)逢善道人により創建。小野の観音様と呼ばれる天台宗の古刹で観音堂は日本一の広さを持つ。県指定文化財) 逢善寺の金剛力士像 新利根フレンドリータウン(町民いこいのスポーツ施設公園) 愛宕山公園 愛宕山神社 円福寺 阿弥陀寺(弘安4年(1281)開山。寝釈迦像を安置。県指定文化財) 中山薬師 智心院 東条城跡 釈迦堂花祭り(実施日6月8日) 祇園祭 しんとねよいとこ祭り(実施日11月1日から5日) 平井家住宅(国指定重要文化財) 五鈷鈴 五鈷杵 【名産】ザリガニのから揚げ イチジク コシヒカリ--------- 旧稲敷郡桜川村のデータ -------------- 茨城県稲敷郡 【いわれ】「桜川」は旧3村に囲まれた霞ヶ浦の入江一帯の称で,昔から詩歌に詠まれた景勝地であった。さらにらんまんとした桜の姿と清新な川の流れは,水郷地帯に所在する新村名にふさわしいとされた。 【シンボル】花(ツツジ),木(桜),鳥(なし) 【日本一】単一村の中にゴルフ場が5つもあること 約50haを夜間一気に燃やす野焼き(夢のうきしま野火祭り) 【観光】 浮島地区和田岬(水郷筑波国定公園に指定) 浮島地区妙岐の鼻(広大なヨシの群落があり,向こうに広がる霞ヶ浦と1つになって,四季ごとの美しい風景を作り出す。バードウオッチングや野火祭りの行われる場所) 大杉神社(景雲元年(767)勝道上人によって建立された。権現造り,24孝の透かし彫りなど貴重な建築で特に水上交通安全を祈願する人々のメッカといえる神社。別名あんば様) あんば囃子(昔,疫病退散のために演奏された笛や鼓の音。大杉神社に10月26〜27日奉納。国指定無形民俗文化財) 大杉神社大祭(別称:あんばまち。神護景雲元年(767)勝道上人によって鎮祀されて以来絶えず行われてきた由緒ある祭り。実施日10月26日から27日) 古渡(ふっと)地区小野川河畔から望む筑波山の風景 ふれあい果樹園 チューリップ祭り 姫宮神社奉納相撲 尾島神社例祭 村民文化祭 浮島和田公園(20万本のチューリップやキャンプ場,アヤメ園,芝生広場等が整備) 関東ふれあいの道(首都圏自然歩道) 西浜観音例祭 広畑貝塚(国指定史跡) 神宮寺城跡 景行天皇行在所遺跡 西浜観音堂の杉(保元の乱で崇徳上皇に味方して敗れ,浮島(当時は霞ヶ浦の孤島であった)に流罪となった左京大夫三位源朝臣藤原教長の配所跡が観音堂のある場所である。堂前に今もそびえる老杉は「ゆめのまにまに七歳あまり過しなむ。このうつし植たる杉のみどりと村びとのこまやかなかたちを末ながく契りて浮島の里人に云々」とある教長の遺墨のとおり,教長がみずから植えたものとされている) 桜川村民俗資料館(昭和47年(1972)に開館。茅葺き屋根の旧民家を復元した建物で浮島の田げた、縄文土器、霞ヶ浦沿岸の農具,生活用具,漁具、魚取道具などの民俗,考古資料展示) 夢のうきしま野火祭り(霞ヶ浦湖畔の湿原を夜間一気に燃やすイベント。実施日2月下旬) レンゲ祭り(レンゲソウの咲き誇るふるさとの美しい春をPR。実施日5月上旬) 古渡のぎおん(古渡地区で昔から伝わる祭典令に乗っ取り古式ゆかしく行われる。実施日7月21日から23日) 十三塚(南北朝時代北畠親房に味方して足利軍に処刑された13人の名主の墓碑) ほいほい地蔵(13人の名主が処刑されたときにちょうど留守にしていた一人の名主が川の向こう側へ去っていた敵軍を「ほーいほーい」と呼び戻して自ら進んで処刑されたのを弔った石仏) 一鍬(いちくわ。農家の男達が田んぼに初くわを入れ「ひとくわざっぷりこ、ふたくわざっぷりこ、三くわ目の先に、金銀茶がま掘り出した」と3回掘り起こして松を飾り、もちや米を供えて1年の豊作を祈る。実施日1月11日) 興禅寺の伐りかけの松(延命地蔵尊で有名な興禅寺が全焼したときに裏山の木を切って再建することになった。ある木こりが松の大木にのこを入れ始めたところ、一人の坊様が現れ「この木は霊木なれば切ってはならない」と言って姿を消した。木こりは和尚にその事を話しその後2人で地蔵堂に入り、地蔵様を拝んだところ山に現れた坊様と変わりなかった。その後不思議にも松のこの傷跡は消え去り「伐りかけの松」として美しい姿を残した) 【名産】レンコン(霞ヶ浦周辺の湿田で栽培され品質もトップレベル) つくだ煮(霞ヶ浦の小魚,エビを伝統的製法で加工) 【方言】あがす(知らせる、密告する) からきし(さっぱり〜しない) しゃいもねぇ(取るに足らず) わあんか(少しだけ) でれすけ野郎(愚者) ----------------------- 【名称】桜川村民俗資料館 【住所】茨城県稲敷郡桜川村大字浮島5020ー1 【電話】029894ー2121 【交通】JR常磐線土浦駅からバス終点浮島下車,徒歩10分 【開館】9:00〜17:00 【概要】昭和47年(1972)に開館 田下駄 縄文土器 霞ヶ浦沿岸の農具,生活用具,漁具 魚取道具などの民俗,考古資料展示--------- 旧稲敷郡東町のデータ -------------- 茨城県稲敷郡 【いわれ】村民からの公募で決めたが,郡内の東端に位置していることや,「光は東方から」と東は縁起がよいことがあげられる。 【トピック】1996年(平成8年)9月1日町制 【シンボル】花(桜),木(マキ),鳥(シラサギ) 【日本一】新利根川桜堤 【観光】 横利根閘門(よことねこうもん。2つの開閉扉により水位調節ができる水門で外側がレンガ色。一帯はヨーロッパを思わせる。大正11年完成) ヘラブナ釣りのメッカ(「へら鮒の碑」供養塔や釣り名人「叶九隻」の銅像がある) 阿波崎城祉 伊佐部の祇園祭(実施日7月13日) 東町歴史資料館 大利根東公園(利根川湖畔に広がる花の広場、サイクリングロード、ゲートボール、遊戯施設などを整備した市民いこいの広場) 観音寺(江戸時代後期の第7代横綱・稲妻雷五郎ゆかりの寺) 新宮神社(安産の神様として信仰されている) 満願寺(天平12年(740)に行基による開山。釈迦如来立像) 片目のウナギ(長兵衛という人が近くの池で大きなウナギを見つけて矢で目を射って捕まえた。いろりで7日7夜焼いた。ところが皮も焼けないために、祟りを恐れて池に戻したところウナギは元気になった。長兵衛は池の近くにウナギの宮を建てて奉ったという。以後この池のウナギは全て片目になったという) 【名産】川魚のつくだ煮 鉄砲漬 |