相生町の民話伝説
■山父
昔、葛ヶ谷の奥山で、数人の木こりが山小屋に寝泊まりして仕事をしていたが、正月近くなり里に帰ることになった。ところが仲間の1人が帰らず、年が明けて仲間が再び入山してみると、残った男は恐ろしい異様な姿になって「食いとうなる。帰れ、帰れ」と叫ぶので仲間は逃げ帰った。そのうち、だれ言うとなく葛ヶ谷が来不谷(こずがたに)と呼ばれるようになったという。

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上那賀町の民話伝説
■葛ヶ谷の山父
葛ヶ谷には得体の知れない怪物がいて、山に入った者は帰ってこない。家宝の玉を詰めた鉄砲を撃ったが死体がなく、その怪物と思われるものは山父と呼ばれるようになったという。

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木頭村の民話伝説
■八幡さんのこま犬
和無田八幡神社の狛犬は木製で、以前夜になると田畑を荒らして困ったので社殿内に安置している
■平家の皿泉
平家一族が野久保山頂近くを戦いの稽古場にしており、水が必要になったとき、金の皿を埋めて泉を出したという。
■血の池
宇井の内に、師匠と12人の弟子がいたが、不満を持った弟子達が師匠を池に切り込み、以後、池は血のように赤くなったという。
■十二弟子峠
師匠を殺してしまった弟子達が逃げる途中、次々に腹痛を起こして死んでしまった。それが現在の十二弟子峠であるという。

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由岐町の民話伝説
■いぼ取りの神様
満石神社の池の水はあらゆる皮膚病、ことに「いぼ取り」に霊験あらたかで試みた人全てが完治しており、「いぼ取りの神様」の異名で広く信仰を集めている

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日和佐町の民話伝説
■蛇責めの石
料理のだしに蛇を用いていた下女に立腹した主人が蛇を入れたおけに下女を入れて石でふたをした。今も石が残る
■後ろ向き薬師様
薬王寺本堂が火事の折、薬師如来像が玉厨子山へ飛んで行き、飛んで帰った折、後ろ向きに入り今も残る
■法印の忍術
文政元年(1818)ころのエスパーである法印。頭の毛の先が3本に分かれ足型には大の字あり、引法寺に遺品が残る

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海南町の民話伝説
■海老ヶ池の大蛇
昔、土佐の国のある庄屋夫婦が子どもを授かりたいと四国参拝に旅立ち、阿波一の湖といわれる海老ヶ池の畔にたどり着いた。ここで女房が腹痛を起こし土佐に戻った後、女児を産み落とし玉枝と名付けた。しかし実は玉枝が大蛇であることが知られると玉枝は育ててくれた礼をいった後、あらしの空へ舞い上がって消えた。一方、海老ヶ池の畔に美しい娘の姿が見られるようになったが、大蛇となって池の底に沈んだ。以来、大蛇の化身は毎年大晦日に着物を干しに池の端まで上がって来るといわれ、その際、いつも大嵐になるので村人はほこらを建てて祀ったと言われる。

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海部町の民話伝説
■母川
ある年、日照りが続き飲み水に困るようになり、母親に水を飲ませるために山下の岩陰に池を掘った子がいた。ここを通りかかった弘法大師がその孝心を褒め「この清水はいつまでも枯れることがないであろう」と祈られた。それからこの川を母川と呼び、水は枯れることなくいつも清らかに澄んでいる。

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