御所市の民話伝説
■黄金の埋蔵
稲宿、本馬等の地方に千両ほどの小判の埋蔵を謡った俗謡がある
■身代わり石仏
九品寺にある千数百体の石仏は地元城主を助けるための地元の人が敵軍を悩ますために作ったものである
■汁かけ祭
役行者に恋した娘が蛇身に化けて後を追った。村人達はびっくりして汁をかけて蛇を退治したという話

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生駒市の民話伝説
■金鵄発祥
この地の豪族、長髄彦が神武天皇を迎え撃ったとき、金のトビが飛来して天皇の弓弭に止まり長髄彦の軍の目をくらましたという話
■往馬(生駒)の話
神功皇后が朝鮮遠征の途中、この地に立ち寄り病馬に水を与えたところ馬が生き返ったので往馬(いこま)の名が起こったという話
■鬼取山と行者
市内の鬼取町は村人を苦しめていた前鬼、後鬼という鬼を役の行者が退治したことからその地名が付いたという話

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月ヶ瀬村の民話伝説
■鶏石
昔、月ヶ瀬村の長引と京都府南山城村の田山との間で境界を決めることになったが、双方の主張がまとまらず、村代表の双方の神主が、正月の朝一番、鶏の鳴き声で馬に乗り行き会ったところを境界とすることになった。このため長引の神主は馬が早く歩くように調教し、いちばん早く鳴く鶏を屋敷に入れ、沢山えさをやって正月を待った。その正月の朝、ドンドンと戸を叩くので、起きてみると田山の神主が「一番鶏が鳴いたのでやって来たが、お主と会えずここまで来てしまった。約束通りここが境界だ」と言ったので、長引の神主はびっくり。必死で田山の神主の馬の手綱をとり、無理矢理押し戻し、上山家のはずれを境界とした。今でもそこを「やりば」と呼んでいる。長引の神主はかんかんに怒り、鶏を集めて殺してしまい、十堂の大石の横に埋めた。以来この石を鶏石と呼ぶようになり今でも正月の早朝、鶏の鳴き声が聞こえるという話

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山添村の民話伝説
■神野山の天狗
昔々、神野山と青葉山に住むてんぐが大げんかをした。青葉山から投げつけた芝生や岩で今の神野山が出来上がったという話
■王塚伝説
神代の時代、美しすぎて多くの男神に慕われ、身を大蛇にされた女神(ひのはやひ)の命を葬った塚と言われる

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平群町の民話伝説
■盗まれた仏の画像
平群の山寺に住んでいた尼さんが尊い仏様の画像を描き、それを寺に安置していたところ、留守中盗難にあった。悲しんだ尼が各地の市を探し歩いていたところ、背負いかごの中から生き物の鳴き声が聞こえたので買い求めようとしたら、商人が逃げ出した。残されたかごを調べると盗まれた仏の画像が入っていたという話
■池から見つかった観音像
聖武天皇の御代のこと、平群の宿駅の西にある小さな池で村の童たちが棒きれの先端にサギ止まっているを見つけ、石を投げつけたりした。しかしサギは一向に逃げようとしないので、童たちが近づいてみるとサギではなく、指の形をした黄金で水底から観音様の銅像が出来てきた。これは平群郡斑鳩の岡本尼寺で盗まれた黄金仏像の1体であることが判ったという話

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斑鳩町の民話伝説
■業平姿見の井戸
昔、在原業平が愛人のいる河内の国の高安へ通ったとき、いつもここの井戸に自分の姿を映したのだという話
■まま子地蔵
弘法大師が彫られたという石地蔵で、昔、まま子があって母親にいじめられていた。「お前、あの地蔵さんにご飯を食べさせたらお前にも食べさせてやる」と言われたので、お地蔵さんに哀願するとお地蔵様が口を開いてご飯をお食べになった。これを知った継母は実の子同様にかわいがったという話

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安堵町の民話伝説
■高塚
聖徳太子が飛鳥から法隆寺に来られるときの目標にされていた。今一には百済から輸入した白い「タカ」がこの地の「タカ」に襲われて死亡したので聖徳太子がこの地に埋めたという話

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三宅町の民話伝説
■絵馬
聖徳太子が橘寺から法隆寺への道中、白山神社で小休止されたと伝えられる腰掛け石があり、向かいの杵築神社拝殿にはその情景を描いた絵馬が奉納されているという。

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